それぞれがもつ厭世観には、それぞれの度合いが有りそうだ。少ない経験から判断すると(時には少ない経験や知識の方が的を得ている。物事なんて別けてしまえば少量の塩みたいなもんだ)普段の生活の中でまともな面を操作出来る人間ほど−巨大なものなのかもしれない。
反動でそうなるんだ。反動?そうか。俺はよくこの言葉を使うが(脳が未発達なんだ)こんな考えじゃ永遠の繰り返しと錯綜の中からでれない気がする。
このような事柄を考える事によって、俺はうまくやっているのかもしれない。同時に階段を上り下りしている(それが趣味のごとく)惨めな男になっている。俺は自分の事を「俺」なんて呼ばずに人間と呼べばいいのかもしれない。
「おい。人間。」
そうすれば俺の肩こり、首こりは直り、リンパが腫れる事もなくなり、軽くなるかもしれない。
−疎外と厭世−
以前こんな詩を見た気がする。
俺がもし、幾分でも何か言えるのならー疎外と厭世ーみたいなタイトルの詩は書かない。そんな甘えたような、他人任せのような、誰の足で立っているのか分からないような責任転嫁の詩はいらない。
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